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ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

上達法―最強メソッドの確立(2)

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

上達法―最強メソッドの確立(2)

 

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メソッドって、何?

世界的に有名な2つの「スズキ・メソッド」を参照しよう。

 

1つは、ヴァイオリン教育のメソード。

もう1つは、演劇の俳優トレーニングメソッド。

 

創始者は、前者が鈴木鎮一、後者が鈴木忠志である。

両者は全くの別物だが、「メソッド」という点で共通項がある。

 

今まで両者を合わせて考察した例は、寡聞にして知らない。

だが、「メソッドとは何か」を考える上で、避けて通れぬ両巨頭だ。

 

共通項をあえて一言で言えば、「カリスマ教師の否定」でなかろうか。

「ある一人のずばぬけたカリスマ教師の下でなければ成長できない。」

このような教育観に対する、強烈なアンチテーゼが「メソッド」である。

 

教師よりも、教え方の方が上位に来るのが「メソッド」だ。

マニュアルに似ているが、そこに思想があるのが「メソッド」との差。

 

事実、両者の背景には、核となる哲学が揺るぎなく存在する。

音楽の方は「幼児の才能開発」、演劇の方は「身体への回帰」である。

 

もちろん、以上の見解は、私シュうぇッチマンの独断と偏見かもしれない。

だが、これらの優れたメソッドの両方を体験した者として、そう理解する。

 

古今伝授のような密室での芸の承継ではない。

突然、何の前ぶれもなく現れた天才をサポートするわけでもない。

 

誰でも努力すれば天才に近い領域まで到達できる。

そのような最短の道筋を描く正しいやり方・方法・手段の体系化。

これが「メソッド」だ。

 

私シュうぇッチマンが目指すのは、将棋におけるメソッドの確立だ。

 

将棋の本は、これまで技術的なものを教えるものが圧倒的に多かった。

しかも、それぞれには、何の連関もない。

あるいは、人工知能の研究か、伝統文化の研究。

教え方を真面目に考える本だけは、不思議と少なかった。

上達のプロセスを言語化する体系的な試みは、ほとんど出なかった。

 

理由は、はっきりしている。

学校教育やアカデミズムから除外されたエキストラ・テリトリーだから。

実は音楽や演劇ですら、かつてはそうであったし、今でもそうだ。

だからこそ、2つの卓越したメソッドが光り輝いている。

 

将棋にもレッスンプロはいるが、彼らの著作でさえ尠ない。

トーナメントプロの著作ばかりがもてはやされ、アマは参入できなかった。

強さを唯一の基準とする、絶対的なヒエラルキー

これが大きな魅力である反面、教育や普及を阻害してきた側面も否めない。

将棋界の構造は、髷をしたことのある者しか発言権がない相撲界と酷似する。

 

その証拠が、何から学ぶかという初歩、初手から分からないという混乱だ。

教育哲学、学ぶ順序、プライオリティなどが全く考えられていないのだ。

ヴァイオリンなら、「キラキラ星」から始めるとはっきり決まっているのに。

 

場あたり的な教え方が多すぎる。

教師によって、教え方のヴァリエーションが無限に広がり過ぎている。

 

いや、かつてに比べれば、飛躍的に進化してきていると言えるだろう。

また、今日の棋士は、どの時代の棋士よりも普及に熱心だ。

そして、その成果は確実に現れている。

子供や女性への普及は、本当にすばらしい。

こういったことを否定しているのでは、まったくない。

 

そうではなく、ただ「メソッド」の不在を嘆いているのだ。

 

これは空想だが、もし大学に「将棋学部」ができたとしよう。

「実技」「工学」「IT」「文化」「運営」など課程は多岐に及ぶだろう。

しかし、今のままでは、「教育」だけが、抜け落ちてしまうのではないか。

 

今回は、あえて挑発的に書いてみた。

この方面の議論が本格化することを切望するがゆえである。

いろいろ誤解されそうで恐いが、目利きはどこかにいると信じている。