ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

勝負の鬼になる―勝負×将来の方程式(5)

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

勝負の鬼になる―勝負×将来の方程式(5)

 

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笑う。

これは以前、スランプのところでも書いた。

米長邦雄永世棋聖のスランプ克服法だ。

 

米長邦雄の勝負哲学は、非常に興味深い。

彼は、最も言語化能力が卓越した棋士のひとりだった。

詳しくは『米長の将棋 完全版 第三巻』をお読みいただきたい。

 

米長の将棋 完全版 第三巻

米長の将棋 完全版 第三巻

 

 

最高齢名人になったときのインタビューで、こう言っている。

 

「大山、中原は勝負の鬼、升田は将棋の鬼、私は何かといったら、

人生の鬼を目指しているんですね。」

 

そして、このインタビューでは、松本幸四郎の『アマデウス』に言及する。

天才モーツァルトの才能に嫉妬するサリエリの物語だ。

 

サリエリにはなく、モーツァルトに才能があった理由。

それは「笑い」だというのである。

 

気分転換は、将棋を忘れること、将棋を離れることだという。

さらに将棋を離れて「笑う」ことだと言い換えている。

 

米長邦雄永世棋聖(当時名人)がいかに「笑い」を重視したかがわかる。

 

米長のもう一つの特徴は、謙虚さ。

年を非常に考えなくてはいけないという反面、年を忘れることが大事という。

 

これなどは、私シュうぇッチマンの「二者択一を選ばない」とも合致する。

そして、坂口安吾の「生きよ堕ちよ」みたいな撞着語法にも通じる。

撞着語法というのは、「美しいけれども美しくない」という言い方。

 

「年を忘れることが大事」の後に、こう続けている。

 俺は日本一の名人だから、若い者には香落ちだよではすぐ駄目になる。

 

なるほど。若手に教わる。

羽生先生に教わるという姿勢が、米長名人の誕生につながったわけだ。

 

何を言いたいか、そろそろまとめよう。

将棋の鬼、勝負の鬼、人生の鬼がいる。

 

将棋の鬼は、局面だけの形勢判断で生きている。

勝負の鬼は、時間や将来の対局の盤外戦術を視野に入れる。

そして人生の鬼は、将来の人間の成長を目標にする。

 

だから、米長は升田、大山、中原よりも偉いと言いたいわけだろう。

そこが少し鼻につくところではあるが、言っていることは間違っていない。

 

私シュうぇッチマンは僭越ながら、さらにその上を目指したいと思っている。

私シュうぇッチマンの考える人生の鬼は、弱い人、声なき人から学ぶことだから。

 

後輩に謙虚に学ぶことは、たしかに立派なことだろう。

けれども、そこではあくまで、強さや勝負が絶対的な基準になっている。

ここでの若者は誰でもいいわけではなく、羽生や佐藤や森下なのだ。

 

ところが、私シュうぇッチマンは、将棋や勝負を度外視して学びたい。

将棋や勝負など、人生に比べたら、瑣事に過ぎない。

宇宙から地球上の将棋盤を眺めても、認めることすらできないだろう。

 

私シュうぇッチマンの理想は、将棋を指さない人に将棋を教わること。

将棋を指さない人から、将棋に役立つヒントを得ること。

あるいは、将棋から、将棋以外に役立つヒントを探ること。

そして、両者を自在に往還させること。

 

将棋を離れることは、アマチュアにとっては気分転換ではないのだから。

将棋の方が気分転換なのだ。

 

俺はプロだからアマチュアなら四枚落ちでも楽勝だ。

こんなプロでは、すぐに駄目になるだろう。

こっちは将棋ではアマでも、将棋以外ではプロなんだぞ。

こう思っている。

 

もっとも、将棋を気分転換だと言っていたら鬼になれない。

アマは「楽しむことが一番」などと、すぐに遁辞を弄するからいけない。

だから、私シュうぇッチマンは、将棋もそれ以外も鬼になる。

しかも、笑いながら。 

 

アマチュアの方にも敬意を持って、何かを学ぼうとする姿勢。

これが本物のプロであり、真の人生の鬼だと考える。

 

「我以外皆我師」(吉川英治

 

いずれにしても、「人生の鬼」になりたいと念じてやまない。