読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

勝負の鬼になる―勝負×勝利の方程式(補遺)

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)の初段になる50の方法

勝負の鬼になる―勝負×勝利の方程式(補遺)

 

f:id:Shouldgo:20160902200628j:plain

 

中国のメディア騰訊網の2016年4月28日の記事が面白い。

題は「どうして日本のアニメの主人公は敵に対してあまりにも優しいのか」。

 

とどめを刺さない日本のアニメを不思議に思うようだ。

幾多の困難を乗り越えたにもかかわらず、敵に温情を加える。

たしかに、これは理解が難しいだろう。

 

敵を徹底的に懲らしめる。

本当はこれが正しいのかもしれない。

 

もちろん、いろいろと理屈を並べることは容易だ。

けれども、それはどれも詭弁に聞こえ、説得力は持たない。

いつまで経っても、不思議は不思議のままである。

 

中国人は、いろいろと解を持ってくる。

主人公のやさしさの強調。

暴力を好まない時代性。

敵が美男美女であるかどうか。

 

ちなみに、今関忠馬は、理由をこう考えている。

 

「敵が潔く負けを認めるのを美徳とする文化的な背景も影響しているのではないだろうか。その文化は、将棋や囲碁の「投了」にも体現されている。」

news.searchina.net

 

なるほど、卓見だ。

しかも、それは日本文化に特有なものではない。

チェスやカーリングなどのギブアップにも当てはまるという。

 

他方で、私シュうぇッチマンは、日本文化特有の問題でもあると考える。

おくりびと』の幻の「原作」、『納棺夫日記』が衝撃だったのと同じだから。

 

死というものへの考え方が、他の国の人々とはあまりに違うのだ。

死を遠ざけ、死者の映像を極端に忌避する文化。

それは紛れもなく、現代の日本の文化である。

 

かつて升田幸三はGHQに将棋とチェスの違いを説いたことがあるらしい。

将棋は捕虜を殺さず生かす。チェスと違い、持ち駒というルールがあるのだ。

ゆえに禁止されるべき娯楽ではない。こう将棋の平和性を説いたのだ。

 

いまだに将棋やチェスは戦争ゲームで残虐なものだと思っている女子がいる。

けれども、それは明らかに誤解。

最後、王様の逃げ道がなくなったら、そこで終わりだから。

捕らえはしないのである。

 

しかも、最近のネット将棋の汚さ加減を見ていると、文化度が下がっている。

そう観じざるを得ない。

 

ともかく世界を理解しておくと、勝負観の多様性を知ることができる。

敵にとどめを刺すグループと、敵にとどめを刺さないグループがある、と。

 

いずれにせよ、あなたの勝負観をさらに整理しておくことをおすすめする。

ただし、優しすぎてもいけないし、厳しすぎてもいけない。

これだけはご忠告申し上げておこう。