ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

棋士の前にひとりの人間として(1)

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

棋士の前にひとりの人間として(1)

 

「いよいよ当機は最終着陸態勢に入ります。」

 

ブログの脱稿がいよいよ近づいてきた。

10月31日がフィナーレだ。

充実感や達成感があるかと思いきや、さみしさが募る。

けれども、まだ感傷にひたっている場合ではない。

勝負は下駄を履くまで分からない。ただ安全な着陸に努めるのみ。

 

 

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10年前。

こともあろうに私シュうぇッチマンは、故米長邦雄(当時会長)を批判した。

今は閉鎖した、はてなダイアリーにおいて、次のような文章を発表した。

 

2006-05-14 名人戦の契約解消問題(抜粋)

 朝日か毎日かの二者択一は、真の解決策ではない。朝日も毎日もというのが正解なのだから、将棋のように一方を切り捨てて一方を選択するというのは過ちの元だ。米長邦雄は何でも将棋の比喩で説明できると考えている節があるが、それが彼の唯一の欠点でもある。》

 

まだ将来の名人戦がどうなるか先が分からず不透明だったころの記事。

当時、連盟は『毎日新聞』と名人戦の契約を解消しようとしたのである。

 

二者択一は選ばないのは、私シュうぇッチマンの昔から変わらぬ長所。

「ヨネちゃん、名人戦をこれ以上傷つけてはいけない」

当時、米長の友人である大橋巨泉でさえ批判していた。

 

私シュうぇッチマンが批判の矛先を向けたのは、米長の「言葉」であった。

 

彼はたしかに多才であった。

けれども、そうはいってもやはり、根からの棋士であった。

だから、彼の言葉はすべてが将棋の比喩で固められている。

人生と将棋を、いつもアナロジー(類比)でしか語れなかった。

これこそが彼のつまずきの石であると看破したのだ。

 

たしかに、彼は若者の「強さ」や女性の「美しさ」には額ずき、跪いた。

けれども、いつも永世棋聖か、連盟会長か、亭主関白か。

この人物は、ごく普通の人間であった例しがついぞ一度もなかった。

 

名人戦も、毎日と朝日の共催という「両取り」の「奇手」を放った。

結果的によかったと、言いたいのだろう。

いや、プロセスには大いに問題があったと、今でも思っている。

実社会で将棋のような駆け引きをされたら、たまったものではない。

そう思う人もいるのである。

 

10年前、そして今日の三浦九段のまつわる問題につけても思う。

棋士は、将棋盤の上、将棋界の中だけで将棋を語るべきだ。

将棋界の外は、外国なのだという対社会意識が希薄なのではないか、と。

 

彼らは将棋を知らない人にとっては、ただのおっさん。

真面目に働いている人間には、遊んで暮らしているようにさえ映る。

 

そんな外国では外国語を使うか、通訳を介するしかしない。

外国には外国のルールがあり、そのルールに則る必要もある。

にもかかわらず、外国でも将棋言語を駆使するのは、児戯に等しい。

チェスのルールに従わず、将棋のルールを押し通しても滑稽千万だ。

 

もっとも、すべての棋士がそうだというわけではない。

けれども、子どものころから将棋一筋で生きてきた集団である。

盤外でも無邪気に将棋を戦っているようにしか見えないときがある。

 

その意味では、瀬川晶司、今泉健司にA級入り、名人に就位してほしい。

西山朋佳や里見香奈にもA級入り、名人就位を期待したい。

社会を経験した人間、女性、外国人がA級に入り、タイトルをとってほしい。

 

コンピュータがA級に入った今、将棋界は一体どうなるのだろうか。

生きている間に、将棋界の「革命」を目撃してみたいものだ。