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ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

おまけの読書ノート(1) 小沼丹の「懐中時計」を読む

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

おまけの読書ノート(1) 小沼丹の「懐中時計」を読む

 

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 『群像』(2016・10)を開いた。創刊70周年記念号「群像短篇名作選」。

  

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

群像 2016年 10 月号 [雑誌]

 

  

群像 2016年 10月号 [雑誌]

群像 2016年 10月号 [雑誌]

 

 

 やたら分厚いので、読む気がしなかったが、手持ち無沙汰に適当に開いてみた。すると、懐かしいことに、小沼丹「懐中時計」が載っているではないか! 初出は『群像』(1968・6)とのこと。小沼丹は文章がよいので、ひところ愛読していたが忘れていた。これが秀逸な囲碁小説であったことを。そして、1960年代に呼吸していた小説であったことを。以下、ネタばれに注意。

 

 《十年ばかり前のことだが、或る晩酒に酔って、翌日気が附くと腕時計が紛失していた。腕時計と共に記憶もどこかに落してしまったらしく、事の次第が一向に想い出せない。仕方が無いから、一緒に飲んだ友人の上田友男に電話を掛けた。

――君は昨夜、最后迄僕と一緒だったろう?

――冗談云っちゃ不可ないよ、と上田友男が云った。》

 

 秀逸な囲碁小説は、こんな具合に始まる。しばらくは、回想される「十年ばかり前」を現在として語り続けられるが、絶妙な匙加減で十年後を現在とする言説が顔をのぞかせる。たとえば、こんなふうに。「果して、十年前のその頃、僕に上田友男の懐中時計を買う意志が本当にあったのか、また、彼に売る意志が本当にあったのか、どうもよく判らない。しかし、われわれが一個の時計を中心にいろいろ論じ合ったのは事実である。」

 要するに、友人の「上田友男」のロンジンの懐中時計を譲り受けるかどうかの議論を象徴して「懐中時計」という標題が選ばれている。しかも、この懐中時計は一つの道具であり手段であり媒介である。何を媒介するかといえば、一つはいうまでもなくノスタルジアである。「十年ばかり前」からしてもすでに「いまどき懐中時計を買おうなんてもの好きは滅多にあるものではない。僕が要らぬと云えば、そのロンジンは恐らく彼の家の抽斗ののなかかどこかに、いつ迄も眠っているであろう。」との論陣を張られる程度にはノスタルジックな代物であった。それから十年ばかりが経ち、さらには二一世紀の読者が読むころには、もう相当にノスタルジックな化石となっているわけだ。もう一つの重要な小道具であるパイプにしても、同じことがいえる。いまどき懐中に時計を忍ばせ、優雅にパイプで紫煙を燻らす者など、老人であっても見かけることのなくなった、奇特な時代錯誤者以外の何者でもなかろう。ところが、ここに囲碁が加わる。

 上田友男は囲碁の師匠だというのだ。「上田友男は僕の碁の師匠を以て任じていた。僕は別に弟子入りした訳では無いが、彼は三段とか四段とかで、その彼に僕は四子、五子と置く腕前だったから威張られても仕方が無い。」その上田友男の癖が「くすん、と鼻を鳴ら」すことだった。冒頭に「――腕時計が失くなっちゃってね・・・・・・。/電話口で上田友男が、くすん、と鼻を鳴らしたので、僕には彼が嬉しそうな顔をしているのが判った。」とあるのも、囲碁仲間であるがゆえの洞察であったわけだ。脇役の荒田老人が、形勢が悪くなると、頭を抱えて「ひゃあ」と叫び、形勢が良くなると歌を歌い出すというのも、囲碁や将棋のオールド・ファンには、目に浮かぶ光景だ。

 小説の中で、囲碁の専門的な手の話をするわけにはいかない。とりわけ一般の読者を対象にする場合に、そういう話題は避けることになる。そこで小沼丹という優れた書き手の凝らした工夫が「懐中時計」であり、「パイプ」であった。懐中時計をめぐる議論は、実はそのまま囲碁の対局の実況中継なのだ。

 碁盤を挟むこと。これもまた今日が失ったアナクロニズムの一つ。「懐中時計」は、そんなことを教えてくれる好短篇である。

 これは蛇足だが、最後に出てくる辛夷の花は、劉希夷の古体詩「代悲白頭翁」を踏まえている。ここに「年年歳歳花相似/歳歳年年人不同」の詩句をオーバーラップさせる手腕は、日常を時の移ろいのはかなさを巨大な時空の中に収める効果を生んでいると同時に、頭の薄かった上田友男を彷彿とさせるユーモアともなっている。そういえば、教養やユーモアもまた、今日失われてしまったものである。

 

懐中時計 (講談社文芸文庫)

懐中時計 (講談社文芸文庫)

 

 

懐中時計 (講談社文芸文庫)

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