読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

おまけの将棋ノート(31)

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

おまけの将棋ノート(31)

 

f:id:Shouldgo:20160902152037j:plain

 

天才とは影響されすぎる人のことである。

 

 この週末は、福井へ出張していた。越前ガニにありつき、幸せであった。地酒はなぜか、福井の酒ではなく、栃木市大吟醸だったのだが、しかし、これが非常に美味で大いに感動した。福井のK先生、ありがとうございました!

 今回、中国から来ている留学生の方と、長い時間、お話する機会があった。彼女は非常に向上心にあふれ、熱心で、その、日本人から失われた情熱に、とっても心を打たれた。

 日本人にコーチするときは、まず心に火をつけるのに苦労する。それは濡れた新聞紙に火をつけるようなものだ。

 もちろん、すべての日本人がそうだというつもりはない。日本人でも熱心な方はいる。たとえば、お年寄りの中には非常に向学心にあふれ、たいそう熱心な方がいらっしゃる。かつては日本も貧しかったからだろう、ハングリー精神がある。また、小さな子どもも、とってもピュアで、こちらの心が洗われるほど。反対に、外国からの留学生がすべて熱心かというと、もちろん、そういうわけでもないわけで、ろくでもないのがいることも事実、身をもって体験している。

 ただし、ここでは、どうやれば、無気力で無感動な日本人の心に火をつけられるかという講座をやるつもりはない。そんなやつは、諦めるのが一番。やる気がない人間は相手にしない! (もちろん、こっちも仕事だから、そういうやつを相手にするテクニックも持ってはいるのだけれども・・・・・・)

 ここで助言したいのは、向上心にあふれる人が、それにもかかわらず、そのことを「変」かもしれないと疑心暗鬼におちいって、自らの成長にブレーキをかけてしまう不幸への処方箋である。

 さまざまな助言に「感動」し、そのような助言に「素直」に耳を傾け、「繰り返し」「繰り返し」「努力」するし、「工夫」もする。けれども、そのような理想的な自己の姿勢に、あるとき、ふと疑問を抱く。他人と比べる。「私は感動しすぎるのではないか? 私は他人に影響を受けすぎているのではないか?」と。

 いうなれば、反抗期の中学生のようなもの。小学生のときは、外界の森羅万象に心をときめかせ、感動し、素直に反応していたのに、中学生になると、反対にすべてを疑い、心を固く閉ざし、あまのじゃくになり、感動を拒絶してしまう。もちろん、これはこれで非常に大事なことであり、否定するつもりはない。しかし、大人になって、感動しすぎるのも、疑い深すぎるのも、共にダメだと思う。大事なのは、二者択一しないこと。この場合でいえば、感動と懐疑の両立が課題だ。

 どういうことか? まず「先生」や「学校」を選ぶことである。自身が全身全霊を任せることのできる「お手本」を見つけたら、もうすべてを(身も心も)預けてしまう。なるほど、これは「賭け」であるには相違ない。もし、その先生なり手本なりがダメだったら、地獄落ちなのだから。けれども、その先生なり手本がすばらしかったら、ラッキー。天国行きだ。

 もし、よい先生、よい手本に巡り会ったのであれば、疑いなく、影響されまくるの最善手。物理で言ったら、抵抗のない道のようなもの、重力のない空間のようなものである。余計な邪魔、無駄な圧がかからず、ひたすら成長に専念できる。これは運も左右するが、不幸なのは、よい先生、よい環境があるにもかかわらず、それを無駄にすることだ。無意味に反抗し、まっすぐ心を動かすことをしないと、せっかくの先生や環境も、猫に小判、豚に真珠、馬の耳に念仏、ロバにスポンジケーキ(最近、日本でブレークしているポルトガル語のことわざ:かわいい)なのである。

 しかし、同時に、悪い「先生」や「環境」を見定める眼も必備だ。悪党に心を奪われたら、大損するから。

 良い先生に師事し、良い影響を受けすぎて、素直に心を動かしまくり、努力しまくる。これは最高であり、理想である。逆に、悪い先生=悪い練習=悪影響は徹底的に排除する。凸凹した道を疾走するよりも、スケートリンクを滑った方が、目的地に早くたどり着けるし、労力もかからない。影響されまくること。ただし、正しい師道に。もし、これ以外の王道があるのであれば、こっちが教えてほしい。