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ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

期間限定で公開中。将棋で強くなるための上達法のあれこれ。難しい符号は一切なし。将棋以外にも応用できるので、ご愛読を。

【書評】橋本崇載八段著『棋士の一分』

おまけ記事

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

【書評】橋本崇載八段著『棋士の一分』

 

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 今年の将棋界のニュース、ベスト10(ワースト?)を挙げるとすれば、1位に来るのはやはり――本来なら1位のはずの佐藤天彦新名人誕生や、藤井聡太新四段誕生を抑えて皮肉というよりないのであるが――三浦弘行九段の不正疑惑ということになるだろう。

 このブログでも少し取り上げ、その後、第三者委員会が立ち上がったため、静観している状態だが、これだけスキャンダラスな出来事は、この1年というより、この10年で最大の汚点であり、この100年という単位で見ても、最も恥ずべき黒歴史であることは、ほぼ間違いないものと思われる。

 その後も各種報道を注視してきたが、簡潔にいえば、三浦九段がスマホで近年強くなりすぎたAIを操作した疑惑によって、将棋界最高峰のタイトル戦竜王戦の挑戦が決まっていたにもかかわらず、寸前でその挑戦権を取り上げられ、謹慎処分となり、他の棋戦でも不戦敗になってしまったという事件である。三浦九段が限りなく黒であるとする意見がある一方、三浦九段の潔白を指摘したり(田丸昇九段など)、疑わしきは罰せず(羽生善治三冠)と言ったりする棋士もいて、今もって事態は混迷を極めている。

 このブログでは、たとえば『将棋世界』誌がこの問題をスルーしたことを難詰したのだったが、このことについては小さな記事の中ではあるものの、第三者委員会の結論を待って、記事にする旨の説明が載っていた。これはこれでいちおう納得しはしたのだが、しかし、他の週刊誌がバンバンかき立てる中、何も言わずにスルーしようとした事実は、永久に消せないということだけはここに明記しておきたい。社員(アナウンサー)同士が不倫した某テレビ局A放送が何の説明責任も果たしていないのと同様、恥ずかしいことこの上ない。

 ここまでは前置きで、このような混乱の中、刊行された

 

橋本崇載八段の新著『棋士の一分 将棋界が変わるには』をガチで評してみたい 

 

と思う。

 

 

 第一の印象は、こいつは俺か、というものだった。まるで自画像か、鏡を見ているかのように、私シュうぇッチマンは本書に己の姿を見出した。北陸生まれ、北九州育ちという来歴をはじめて知り得たが、私シュうぇッチマンも両方に住んだことがあるからなのだろうか、考え方から感じ方まで、非常に酷似するものを認めざるをえなかった。今まで、メディアを通じて知っていた「はっしー」、あるいは棋譜を通じて知っていた橋本八段とはまた別の顔を知った。もともと、見た目とは裏腹に、非常に真面目な棋士だという評判だったが、その素顔がようやくファンのもとへ届いた瞬間であった。

 その核心を一言で表すのは難しいが、強いて表現するならば、レヴィナスのいう他者性=外部性(詳しい説明は、阪大哲学科の大学院生・糸谷八段に訊いてほしい)が、この青年、この棋士には、ひょっとしたらあるのかもしれないということを予感させてくれたということだろう。言い換えれば、now-here〈いま=ここ〉に満足せず、no-where〈ここではないどこか〉を志向する点において、見どころのある奴という印象を強くした。要するに、副題にもあるとおり、将棋界というものに、内部にいながら、強烈に否をつきつけるその精神に、心打たれたのである。

 とりわけ評価したいのは、米長邦雄前会長に対する批判だ。禁欲ならざる金欲まみれの独裁者を――評価すべき点は評価しつつも――告発したのは、立派だ。その勇気に敬意を表する。これを内破(将棋界では、糸谷八段のみぞ知る、だろうが。)という。

 

内破する知―身体・言葉・権力を編みなおす

内破する知―身体・言葉・権力を編みなおす

 

 

 将棋界の最大の問題点は、マネジメントがど素人だということ。米長氏批判も、マネジメント批判も、十数年前のブログにさんざん書いてきたが、その当時の私シュうぇッチマンの予言を、橋本八段がなぞり、反復してくれている。

 ただし、当時の私シュうぇッチマンと同じ年齢の橋本八段を批判してもおきたい。それは同時に、激励でもあるのだが、棋士の最大の欠点は、全権を掌握しないと気が済まない気質にあるということ。将棋は全軍を思いのままに操れる。だから、組織も同じように操れるという幻想を抱いているところが棋士の躓きの石なのであり、米長氏が躓いたのもまさにそこだったわけだが、同じことは橋本氏にもブーメランのように返ってくるということだ。橋本氏の孤高は、いただけない。たしかに、反抗ののろしを上げるのに、他を巻き込むのは迷惑をかける。だから、単独行動をするのだろうが、一匹狼では結局、米長氏の裏返しであることに気づくべきだ。棋士であっても、いや、棋士であるからこそ、そろそろ連帯を覚える必要がある。それはもちろん、橋本氏が批判する馴れ合いとは別次元の連帯にほかならない。真の連帯と言い換えてもよい。つまり、崇高な目的のために、利害相反する者らとも手を組む、よい意味での政治の謂いである。将棋界に足りないのは、ここなのだ。

 あと3つだけ、橋本氏に期待するがゆえの、批判=激励を付け加えたい。1つは、元・外務官僚の佐藤優氏が『組織の掟』(新潮社)で述べたことだ。すなわち、3度は異見を言っていいということである。1度の理事選で敗れたからといって、引っ込むのはバカだということ。アメリカで成功するエグゼクティブの特徴は、あきらめの悪さ。4度失敗してはじめて引き下がるということが統計でもはっきりしている。1度目の失敗で諦める人が約50%、2度目で諦める人が約25%、3度目も約20%、4度目が約5%、そして、最後の5%が成功者なのだ。あと3度は立候補せよと尻を叩きたい。連盟脱退をほのめかすところも、その観点からすれば、頷けない。

 

組織の掟 (新潮新書)

組織の掟 (新潮新書)

 

 

 もう1つは、将棋界以外の世界の視野が狭いことである。これは半分は自覚しているだろうし、半分は心外でもあろうが、棋士であるかぎり宿命なのかもしれない。たしかに、アルバイトをし、バーを10年近く経営し(10年で真のプロというのは、どの世界でも当てはまる黄金則だが、特に商売に関しては金言だ)、タレント活動も行っている氏に対して、このようなことを言うのは、冒涜なのかもしれない。けれども、その程度の経験であれば、将棋界の外にはいくらでもいる。将棋界の内部では自慢できることであっても、将棋界の外では普通だということをもっと自覚する必要があるだろう。いや、この言い方は適切ではないし、やはり失礼だと思うので、言い換える。もっと本を読めと言いたい。残念ながら、教養において、将棋界の外と比べたときに、狭いと言わざるをえない。それは俗に言う学歴などとは関係がない話だ。将棋界で一流まで上り詰めた棋士だから、それ以外の人間に比べれば、身につけようと思えば教養は身につく。

 こちらは本を読んだり書いたりすることに関してはプロである。そのプロからすれば、棋士は将棋のプロではあるかもしれないが、本を書くことに関してはアマだと言わざるを得ない。いや、これも失礼だし、適切ではない。プロでない人間にプロでないと非難することは、ほとんど言いがかりに近い。事実、文章のプロでないにもかかわらず、いやそれだからこそ、この著書のメッセージは、誠実に、まっすぐに読者に伝わってくるところもあるのだ。けれども、この著者の言いたいことのすべてがこの本で尽くせたというふうにはどうしても思えない。

 この著者にはもっと文章の修行をしてほしいし、もっともっと視野を広げてほしいと希望する。著者が日本将棋連盟に外部のプロを入れろというように、著者も著書を書く際に外部のプロ・アドバイザーをつけるべきだとアドバイスしたい。(要するに、俺を雇えと言いたい! (もちろん、半分冗談だよ))

 最後の一条は、言わずもがな。というか、言わすな。天下をとれ。タイトルをとれ。実力があれば、動くのが将棋界。

 ハッシーには、今後も大いに吠えてほしい。私シュうぇッチマンは、橋本崇載を非常に高く買いかぶっている。

 本書を、将棋界にかぎらず、というより、むしろ将棋界以外の人間、たとえば組織の閉塞感に嫌気がさして、残るべきか去るべきかと思い悩んでいる人々にも広く読んでほしいと希う。将棋界は、将棋界の内部からだけでなく、外部からも突き崩し、改革していかなければならない時代が来たのだから。