ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

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格上と対戦するときの心理について

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

格上と対戦するときの心理について

 

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 格上とは、何か?

 私シュうぇッチマンは自身が弱いと自覚しているので(実際、弱いし、かつては本当に情けないほど弱かった!)、実は対戦相手を格下と見くびることがない。格下のふりをして、実は格上ということも、この世界ではよく見る光景なので、なおさら、そういう心的態度で臨んでいる。つまり、吉川英治をもじっていうならば、「人生我以外皆格上」ということだ。

 けれども、これではおそらく皆さんが期待する答えではないだろうから、もう少し、自身の心理を解剖して皆さんの参考に供したいと思う。

 実はとんでもない強豪やプロの卵とも対戦した経験が多い。まず、ここが第一のポイント。つまり、経験したことがないと、どこまでも妄念が広がっていき、怖れの気持ちが強くなり、勝てなくなる。これは完全なる自滅というやつだ。けれども、一度でも超・強豪と対戦した経験があれば、恐くなくなる。いや、恐いには恐いが、そこまで怖れなくはなるだろう。相手も、私シュうぇッチマンと同じ「人間」なのだから。

 昔々、少年のころ、舞台に乗るときに異常に緊張していた時代があった。そのとき、母から「観客は皆、『大根』だと思え」という古典的なアドバイスを授けられたのだが、これが今でも鮮やかに胸に宿っている。当時はそういうふうにはとても思えなかったから、緊張はまったく緩和されず、効力はまるでなかった。けれども、今日は舞台で緊張するということは絶無。母の言葉は比喩だったけれども、私シュうぇッチマンの現在の認識では、「事実として」大根なのだ。

 こういうと、お客様に失礼だと叱られそうだが、実際の観客というものは、大ホールに何千人いようが、怖れるに足らない。というのも、全然、真剣に見ていないし、聴いていないから。あくびしてみたり、付き合いで連れてこられたりと、少なくとも前で話したり演じたりする者ほどの真剣さと気合いと迫力で、客席に座を占める者が、いったいどのくらいいるのか。評論家と呼ばれる連中でさえ、悪い意味でルーティン化していて、音楽や劇を観たり聴いたりするのは、日常の一齣にすぎず、それは私たちがトイレに行ったり歯を磨いたりするのと同じことなのだ。つまり、誰ひとりとして真剣に構えて客席に座るものなどいない。

 会議だって同じことだ。いったい誰が真剣に参加しているというのだろう。鼻くそをほじったり、枝毛をいじったりしているではないか。そう、大人になって、観客の大半は「事実として」大根なのだと知ってから、私シュうぇッチマンは人前に立つことを怖れなくなった。

 唯一の例外は、子供の前に立つとき。子供の目が輝いていたら、私シュうぇッチマンといえども、かなわない。真剣な子供ほどの強敵は他にいない。バングラデシュの子供のように、前のめりで学校の授業を聴かれると、先生も緊張するであろう。しかし、日本の子供のように、スマホの方に関心が向かっている場合、先生もさぞ張り合いがないことだろう。

 というわけで、長々と書いてきたけれども、子供以外の格上は怖れるに足らず、だ。日頃から格上のコンピュータ相手に駒を落として戦っていることもあり、相手が人間でしかも平手で指せるのなら、それなりにいい勝負になると自身に言い聞かせている。

 実際、今回の大会の準決勝は、格上の、しかも小学生が相手で、序盤早々負かされたかと肝を冷やし、弱気になりかけたが、時間を使い、腰を落ち着けて読みを入れれば、怖れる必要はなかった。「焦っちゃ、ダメだよ。」地道に駒得を図り、反撃のチャンスを待っていたら、そのチャンスがやってきて、最後は相手が詰みを逃し、自滅してくれた。

 第二のポイントは、自滅。雀鬼は、負ける九割以上が自滅だと喝破したが、そのとおりだろうと思う。相手を怖れすぎて自滅するのは、よくない。将棋は、麻雀と違い、盤上はどこまでもフェアで、運の介在する要素はほとんどないはずなのだから、なおさらだろう。

 結局、自身の敵は自身なのだ。自分自身を信じてあげなくて、どうする? そして、自分自身を信じられるようにするために、ふだんの行いがあるのだろう。他人に負けない部分――それは将棋でなくてもよいのだが――をつくっておくことが、格上に怯まなくなるコツだろうと考えている。