ピリギゃルが将棋倶楽部24で初段になる50の方法

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高すぎる壁 中心と周縁のアンバランス

はてなブログ(愛称:ピリ将)

ピリギゃルが将棋倶楽部24(将棋ウォーズ)で初段になる50の方法

高すぎる壁

 

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 新ブログで「壁」について書いたので、旧ブログでも壁についてのリンクを貼ってみよう。これを読むと、将棋の世界がいかに厳しいか、そして自分たちの努力がいかに生ぬるいかが分かるというものだろう。

 

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 ちなみに、断るまでもなく、私シュうぇッチマンは、将棋のプロではない。いや、それどころか、まぐれでたった一回だけ全国大会に出たのが唯一の自慢、実状は全国トップ・アマはおろか、全国の強豪に一発入れることができるかできないか、たぶんできないくらいの棋力、しか持ち合わせていない。

 ただ、将棋はあくまでも趣味。その代わり、将棋ではないけれども、別の分野ではいちおうレッスン・プロをしている。

 一流とは言えず、そうはいっても、二流まで落ちぶれてはいないし、落ちぶれたくないと、もがく、いわゆる「一軍半」の状態だ。少なくとも、自身ではそう認識している。将棋の世界で言ったら、万年C級2組だが、たまに活躍することがある、といった感じだろうか。

 そんなレベルの私シュうぇッチマンでも、それなりに修羅場を歩んできている。そこではまさに死までは行かないけれども、それに近い覚悟は強いられてきた。私シュうぇッチマンだけではない。多くの先輩、同級生、後輩たちも同様で、行方不明になったやつ、音信不通になったやつもたくさんいるし、別の世界に進んだやつにいたっては大多数。まさに、残酷物語、だ。

 この件に関して、言いたいことは、さしあたり、1つだけ。

 将棋界の光の部分だけに脚光を浴びせるだけではいけないということは、たしかにそのとおりであるにせよ、将棋界だけを特殊な世界だとして特別扱いにするのではなく、将棋界以外にもそのような世界がたくさんあるということを知ってほしい、ということだ。

 このブログは匿名で書いているので、詳しく踏み込めないことに歯がみする思いだが、プロの世界というものは、どんな分野でも非常に厳しい。まずこれを大前提にしなければならないと思う。

 将棋界特殊説が行き過ぎることを恐れてあえて書くのだが、将棋のプロは、かなり長い時期をプロとして過ごすことができるが、スポーツ選手は寿命が短いという問題がある。また、身体を故障したら、登録抹消されたり、選手生命を絶たれたりする。野球やサッカーならまだしも、マイナーな競技のプロは超一流であっても、ほんとうに大変である。

 スポーツ選手だけではない。女優にしても、美貌を保つことは至難の業で、長い時期活躍することは困難だし、たいていの場合、収入に保証がないので、プロといっても、常にアルバイトをしていなければならない。身体を売ることだってある。稼げるようになっても、食っていけない事務所の後輩を面倒みる義務も負うだろう。もちろん、そこらじゅうに週刊誌の記者がひそんでいるから、プライベートだって犠牲にする。棋士羽生善治藤井聡太などのごく一部の例外は除く)の比ではない。

 学者も、オーバードクターといって、大学院の博士後期課程に進み、博士号を取得しても、ポストがなく、将来ノーベル賞を取るべき最高知能がコンビニでお弁当を温めているというのがこの国の現状だ。

 文筆業も大変で、芥川賞をとっても死ぬまで作家で食っていける人は限られる。将棋界も新聞がダメになるとつぶれるが、文筆業も本が売れなくなると構造的に立ちゆかなくなるだろう。棋士は対局と執筆を両立できるだろうが、作家は筆一本という苦労が絶えない。

 いや、そんな特殊な職業ばかりを考えずとも、商人も、売れなければ、店はつぶれるし、借金を抱えて借金取りに追われ、保険金目的に首を吊るなど、日常茶飯事。

 年に数名、確実にプロになれる奨励会は、見方によってはまだ恵まれている。勝負の白黒が分かりやすいという面でも、徹底的にフェアであるから、それゆえの苦しさがあることも知らないわけではないが、すべてが自力なので、これも恵まれていると言わなければならない。人生の早い時点を犠牲にしているという点では同情するにやぶさかでないけれども、人生の遅い時点で死刑宣告される世界より、やり直しが利くという見方だって十分できるわけで、将棋界だけを特殊な世界だと表象する傾向には、やはり異を唱えたいと思う。棋界は、棋士はむろん、記者も含めて、視野がまだまだ狭いと私シュうぇッチマンの目などには見える。(もちろん、例外はたくさんあるが。)

 もちろん、そもそも他の業種と比べること自体がナンセンスだという批判は、ごもっとも。けれども、比べられないことをいいことに、調子に乗っている古典的な言説が全面的に大手を振って罷り通るのもいかがなものか。日本将棋連盟はもっと本腰を入れて、もっと本格的に再就職口の斡旋を行う必要がある。ごく一部のコネやツテや努力などといった低次元な解決でなく、構造的な解決策を考えてあげるべきだろう。連盟内に学校を作るなどといった配慮があっていいし、それを支援する社会であってほしい。

 はっきり言えることは、プロという世界一般に対するリスペクトや配慮が社会的に足りない、決定的に不足しているという事実だ。

 未来の羽生善治や未来の藤井聡太を生み出し、育てるために、どのような環境を整えればよいのかという議論が、表面的な議論に終始し、上すべりしていて、根本的でないというところに問題を感じる。

 それは、まさに未来のノーベル賞級の研究者やオリンピックの金メダリストを生み出し、育てるために、どうすればよいのかという問題と軌を一にしているはずなのに、そのような英才教育論にまで広がらず、それぞれの家庭、それぞれの分野でたこつぼ化し、我が子さえよければそれでいい、我が業界さえよければそれでいいといったあんばいで、ジャーナリストの手からは単なる憧憬や同情を集める程度の、つまるところ凡庸きわまりない批評や記事しか現れないといったところに、大いに問題を感じているし、根の深さがあると思う。

 壁。あまりに高すぎるプロへの壁。

 それは徹頭徹尾「プロになれなければ終わりだ」というセーフティ・ネットの不在が問題なのであって、それ以外の議論にすり替えてはならない。

 なるほど、どんなプロの世界でも「真剣勝負」「弱肉強食」「天国と地獄」は当然だ。が、それは最終的には、しょせん言葉というふうにほぐされなければならないし、しょせん比喩だよねで済まさなければならないもの。本当に、字義通りに、人を殺してよいはずがない。将棋で詰まされたからといって、人生まで詰まされていいのか。いや、よくない。将棋の盤上の理はともかく、人生においては、天国の次は地獄ではなく、娑婆でなくてはならないだろう。

 並みの人生を保証することは、その世界を盤石にするためには「マストだ」というふうに、私シュうぇッチマンは考える。

 弱肉であっても、他の一般人に比べたら卓越している、この国の財産なのだから、それを有効活用するシステム、まさにシステムの構築が不可避だと思う。1位になれない、10位になれない、100位になれないからといって、100000000位以下にまで突き落とすことは愚かなこと、愚の骨頂だ。日本死ね、だ。

 先ほどプロに対するリスペクトと配慮が足りないと述べた。それは言い換えれば、プロを一時的に褒めそやし、使い捨てにする現状への不満に他ならない。要するに、持続可能性が考えられていない特攻隊精神のようなものへの批判である。特攻隊のばかげた「零生十死」の精神が、戦後から七十年以上が経った今日にも依然として生き残っていると言わざるを得ない。

 解決策は、1つ。2軍や3軍、奨励会員、レッスン・プロといったプロの周縁を厚く手当てすることだ。この国の教育システムは、ドーナツの穴のへり、エッジしか見ておらず、きわめて視野の狭い不安定なシステムになっている。ドーナツの穴(中心、トッププロ)はおまけであって、実質ではない。その周縁(裾野)が大事だという本質を見逃してよいはずがなかろう。

 

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 日本の山と言えば、富士山。鋭角に表象されることが多いが、実際は裾野が広いがゆえの秀峰である。(写真は、富士市提供の駿河湾上空から撮った富士山)

 

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 この国の教育システムは、完全に破綻している。このことを潔く認めたほうがいい。

 この国の教育改革の呼び声は、現状認識も間違っているし、描くヴィジョン、方向性も間違っていると、はっきり表明しておこう。

 一流になれなかったプロを超一流の教師にして再分配する制度を盤石にしないことなしに、この国の未来はない。小手先の改革ではダメだ。

 ゼロベース、すなわち国数理社英などという科目を全部、リセット、ご破算にして、元プロがたくさん揃った21世紀型の学校を作ること。これが喫緊の課題である。獣医学部を全国に増やすなどという馬鹿なことを言っている阿呆は放っておいて、こういう議論を展開する仲間が1人でも増えてほしいと願ってやまない。

 プロを目指す子どもを止める親など、親ではない。社会や環境が間違っているならば、それに対して敢然と異議申し立てをし、立ち向かっていくのが責任ある社会人の真姿だと私シュうぇッチマンは考えている。せっかくの将棋ブームを一過性のものに終わらせないために、各所での議論を求めたい。